コンセプト

What I am, What I eat.

(誰が人類最初の言いだしっぺか不明)

以後の七世代にわたって及ぼすことになる影響を
  よく考えて今のことを決定しよう

(イロクォイインディアン)

身土不二

(石塚左玄、あるいは仏典に拠るとも言うが、正確には不明)

What I am, What I eat.

「私とは、私が食べたものである」と訳すと、カタいですが、正確ではあるでしょうかね。
えんちゃんは、15年間続けたサラリーマン生活のなかで、不規則な生活時間、外食が続く食生活などが続き、心身ともに調子を崩していきました(もちろん、理由は他にもあった)。

そうしたなか、せめて自分でできること、として、もともと好きだった料理を自分で始めました(一人暮らしだったし)。そのうち、食材への興味が湧き、オーガニックマーケットで買う食材がとりわけおいしいものであることに気付いたのです。その頃に出会って、一人納得した言葉がこれ。人間として、社会生活をそれなりに営んでいると、<自分>とは考える主体であったり、対人コミュニケーションに巧みであったり、、とつい思考行為が自分そのものであるように思い込んでしまいがちだと思うんです。でも、毎日の食事をしないと、痩せ細っていき、考えるなんて行為はそもそもできなくなるであろうことは自明ですよね。

さらに、よいもの(何がどう良いのか、という各論はここでは措きます)を食べれば、身体もより良いものになっていく、ということも自明ですよね。成分表を見てもなんだか分からない添加物が入っている食物を食べたら、その分からない添加物も、自分自身になる、と。これに対して「そんなもの、食品検査をするきちんとした機関が安全と証明したものだから大丈夫でしょ」という意見があるでしょう。しかし、その添加物を6,000万年にわたる歴史のなかで人間が口にしたのはほんのここ数十年の話。それが百年後、千年後、万年後にどう人間に影響を与えるのか、それは誰にも分からないことでしょう。それらを食べ(続け)て良いものなのか。自分一代の人生は、食べものについてそんなに考えなくても健康に天寿が全うできるかもしれない。でも、その人の子供は?そのまた子供たちはどうなるのか、誰にも証明できていない、ということも私たちは心に留めておく必要があると思います。

えんちゃんの意見
自分自身となる食べものは、自分自身と子孫の健康な人生を想像できるものを(なるべく)摂りたいですね。

 

 

以後の七世代にわたって及ぼすことになる影響を
よく考えて今のことを決定しよう

北アメリカに住んでいたネイティブインディアンが、現代人が思考の基本とする科学的合理主義とはまた異なる世界観に基づいて生活をしており、それが今を生きる我々に時折示唆を与える言葉を遺していることをご存じの方は多いかと思います。この言葉もそのひとつ。子や孫、ではないんですよ、以後七世代、ですから、みんな80歳まで生きるとして、時間にして単純合算で560年!(もちろん、現実には祖父母・親・子・孫が同時に生きる時間帯もありますから、もう少し差し引くのが正しいのかもしれないのですが)

560年先を考えて生きている科学者や歴史研究家など、限られた方はいらっしゃるとは思いますが、合理的な発電方法を原子力にする、と、数万年先まで考えなければならない装置を科学者が作り、政治家が実現化を決めたとき、私たちがみんな560年先を考えていたら、あんなこと、こんなことは起きていたのでしょうか。もうすこし変わった現実になっていたかもしれない。「危険」「反対」と叫ぶのではなく、「560年先の子孫たちが、それによって益以上に害を被る可能性があるのならやめるべき」とみんなが声をあげるべきだったのでは、と思うのです。

当然、この話は食べものについても同じこと。560年先の子孫たちが、いま私たちが安全とされて食べているものが原因と思われる害を被る可能性はできる限り排除したいですよね。そのためには、560年前の人々が食べていたもの(に近い)食べものが最も確実、という結論もまたあり得ると思います。

ただし、この560年の間に発達した科学技術や薬品、医療設備などのおかげで人間の平均寿命は大きく伸びたことと思います。これすらも無視した、単なる過去賛美・過去回帰志向は、ちょっと現実にそぐわないのではないかという点には注意したいものです。

えんちゃんの意見
子孫、人類の継続可能性(サスティナビリティ)を考慮した行動をとりたいですね。

 

【追記】農民として畑のサスティナビリティを考えること

以後七世代、の話は、いち農民であるえんちゃんに、「持続使用可能な畑づくり」というテーマをつきつけています。化学肥料を多用すると土地が痩せていき、いずれ耕作に適さなくなるということはもはや科学的に証明されている事実です。無化学肥料・無農薬栽培を続けることによって、土と畑の生物相(微生物を含む)を多様化させて、永続的に耕作でき、作物が実る畑づくりを、ほそぼそとではありますが、やっていく(いる)つもりです。

 

身土不二

初出は1,000年近く前の中国の仏典らしいので、古い言葉であり、多様な解釈のある概念なのですが、ここでは一般的に解釈されている「住んでいる地域の気候・環境で育った食物がいちばん身体にふさわしい」という意味で考えています。

季節外れの食物は、珍しいという意味で楽しく、おいしいものですが、真冬に夏の旬ほどおいしくないトマトやなすを食べ続けたりすると身体が冷え、さまざまな疾患を招きやすいことはよく知られていることと思います。

だからといって、冷凍・保冷技術、運輸技術が発達した現代に、年中おいしいマグロのお寿司を食べたり、季節を先取りした地方の野菜を食べたりすることは、個人的にも否定、できません。でも、です。「どういったものを中心に食べるのが身体に良いのか」は考え、取り組み続けたいものです。

えんちゃんの意見
地産地消、といった運動もあります。地元の農民や酪農家たちが丹精して育てた食べものを積極的に食べたいものですね。